ネイチャーライティング

2007年9月 3日 (月)

森の人たち(1995)最終回

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 樹冠で一夜を明かした。
 正しくは、高さ30mの大木のてっぺんに設置された広さ約二畳の小屋にロープをつたって登り、一夜を明かした。

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 小さな嵐が来て、明け方近くまで木と小屋を揺さぶった。隣近所の樹上にいる猿らと共に、風の咆哮に包まれていた。
 下腹部の膨張感で夢から醒めた。天井の板を下から押し上げてずらし、屋根の上によじ登る。小便は闇に吸い込まれていった。
 その屋根の上で夜明けを待った。漆黒が肌にまとわりついていく。
 あまり虫に噛まれない。蚊はほとんどいない。700mという標高のせいか、半袖シャツ姿ではかなり涼しい。
 空に色が戻る。太陽がグンと昇る。森から立ち昇る朝の蒸気は、空に吸い込まれるように消えていく。
 夜明けの感傷に浸れる時間が短い。ここでは光がすぐ全開になり、いつもの日常が始まる。地球の自転により、私は音速なみの速さで動いているのだ。

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「生きてるぅー?」と、下界から澄んだ声が登ってきた。
 太い枝から垂れ下がったロープがピンと張り、しばらく脈打って、三人目のアマゾネス、リンダが樹上に現れた。
「さあ、戻りましょうか」
 ロマ(ジプシー)を思わせる、情熱的な目元をした女性だ。
「もう少しここにいよう。素晴らしい天気だよ」
「そうね―、うん、問題ないわ」
 私たちはしばらく無言で森を眺めた。
 上から見た樹冠は、地表を覆う、緑色をしたもう一つの大地で、きらきらと光があふれていた。樹上の生き物たちにとって、光が少なくてジメジメしていて食べ物もあまりない地面というのは、地獄なのかもしれない。
「さあ、戻ろうか」
 少し惜しかったが、私から声をかけた。ロッククライミング用のハーネス(安全帯)を締め、下降器にロープを通して、するすると降り始める。
「せっかくだから、ちょっと止まらない?」
 今度は彼女が提案した。1.5mほど離れて隣に彼女がいる。まだほとんどの木が下に見える高さで宙ぶらりになりながら、私たちは静かに笑った。
「俺たち、ホエザルなんかと同じ世界にいるね」
「彼らと比べたら、すごく不器用だけどね」

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 リンダは「下を見て」と合図して、木々の間にできた空白を指差した。若い木がその空白を埋めようと葉を広げ、空を目指していた。彼女は居場所を探してこの森に来たのだろうか、私はぼんやりと思った。
「いいでしょう、このフィーリング」
 彼女の口元、頬、目はほのかに上気していた。それは、ハチドリの鮮やかな羽を連想させた。
 リンダはフランス系のカナダ人で、英語があまり上手ではない。だからこの木の家に登るまで、私とはほとんど会話をしなかった。でも自然は、言葉抜きで、彼女との距離を縮めた。
「国には戻らないの?」私は訊いた。
「まだ決めていないけど、しばらくはコスタリカね」
「ずっとここにいるの?」
「カウイータっていう村の近くで、ここと同じようなツリーハウスが造られるの。そこで働くつもり」
「じゃあ、森の生活は続くんだ」
「ソローみたいにストイックな暮らしじゃないけれどね」
 私は彼女へのプレゼントを思いついた。
「日本語ではね、フォレストのことをモリと言うんだ」
 私は「モリー」と少し伸ばし気味に発音した。
「mori…へえ、面白いわね。mori…」
 彼女は何度も口の中で繰り返していた。ラテン語の有名な一節を連想しているに違いなかった。
「下に戻ったらお願いがあるの」
「なに?」
「moriを日本語で書いてくれる?えー、なんていったっけ…」
「漢字?」
「そう!」
 もうすこし森にぶら下がっていようと、私たちは思った。それから二人は、心を内側に向けていった。

(終り)

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2007年8月20日 (月)

森の人たち(1995)④

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 コスタリカの位置は南緯8度あたりだろうか。ミクロネシアやフィリピン、エチオピアと同じ緯度である。
 これだけ赤道に近い国だと、太陽の動きは実に大胆だ。日本で見るそれの倍速で落ちてゆき、森の向こうへするりと消える。そして空は、あっという間に深い藍色へ。
 私は懐中電灯を持ち、ラスティックなゲストハウスから、木道の先にある食堂へ向かった。腰までしか壁がない小屋だ。ガスランタンの火が、森の漆黒へ薄まりながら広がっている。生の木肌の大きなテーブルと長椅子が次々とうまり、地元料理が並べられていった。麓村出身の料理人が、張り切った顔でこちらを覗いてくる。
「えー、今日も豆かー」ゲストの一人が冗談めかして言う。豆というのは、コスタリカの郷土料理『ガリョピント』(豆入り炊き込み御飯のようなもの)に入っている豆のこと。そしてどこからか「豆は体にいいんだ」と声があがり、みんなはなんとなく笑う。
 今日のゲストはすべて外国人。だが料理に不満はないようだ。地元産の物を食べるほうが無駄がなくていいと思っているらしい。それに、「これで地元の経済が少しでも潤えば、熱帯雨林の保護が進むかもしれない」という小さな希望も、頭の片隅にある。

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 食事が済むと、私たちには―ゲストもスタッフにも―ごく限られた娯楽しかない。今日見た生物の報告、さまざまな国から来た人の話に耳を傾ける、歌うこと、踊ること。とはいえ、それで充分だった。
 光につられて、大きな蛾がテーブルの上にとまった。ここの人々は、野生のものなら何でも歓迎する。急にひそひそ声になり、観察を始め、うっとりしている。

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 けれども私の興味は別だ。この森で働くガイドの一人、ローラと一緒に、瓶ビールで乾杯した。他のガイドたちと同じく、彼女も若い。
「ここのガイドになるにあたって試験はないし、資格も必要ないわ。でも自然についての専門知識は、当たり前のことだけど必要よ。生物学とか、そんなこと。ジニーもリンダも大学で専門教育を受けている。それに加えて、ガイドとして必要な技術や知識を身に付けて、ボランティアガイドになるの」
 僻地にある野生の地だけに、事故への対処もガイドには要求される。毒ヘビに噛まれるなどの可能性は常にある。ボランティアというより、これはプロフェッショナルの仕事ではないか。「無給なの?」と訊く私の声のニュアンスをとらえて彼女は言った。
「カナダのブリティッシュコロンビアで、私は温帯雨林の樹冠を研究していたの。それで、熱帯雨林の樹冠と比較したくなって、ていうか単純に見たかったんだけど、ここのガイドに志願したのよ。食事と宿泊の面倒はみてくれるから悪くわないわ。ここに二ヶ月いて、そのあとコスタリカの他の自然保護区や国立公園をまわるつもり。でも本当はここにいたいのね。お金がかからないし、ここの生活は楽しい」
「じゃあ、カナダに戻ってからのプランは?」
「たぶん大学院に入って森の研究を続けると思う。でもいろいろ考えたいから」
「ここならいろんな人と話ができるよね」
「それも気に入ってる。ところで、あなたはなんでここに・・・・・・」
 ランタンの灯りの向こう、闇の中には、森の生き物たちがいるに違いなかった。彼らは私たちの会話や歌を聞いているだろうか?
 森の空気が私の肌を流れ、鼻から肺へと行き来した。森の生き物たちの吐く息が、溶け込んでいるのかもしれなかった。

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2007年8月 6日 (月)

森の人たち(1995)③

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 熱帯雨林が切り拓かれる一番の理由はカネだ。だから生物学者や自然保護活動家が、科学的に、倫理的に、情熱を込めて熱帯雨林の重要性を説いても、経済について語らなければ森の消滅は止まらない。
 解決策の一つは、いうまでもなくエコツーリズムだろう。ゴムボートでの急流下りやトレッキング、バードウオッチングなど、自然を傷めずに利用していく観光業である。
 この分野において、コスタリカはかなりの先進国だ。熱帯雨林の保護努力では世界のリーダー格で、国立公園などの自然保護区が国土の27%を占めている。
 その結果、豊かな自然を求めて多くの旅行者が訪れている。1993年にはバナナの輸出を抜き、観光業はコスタリカで最大の外貨獲得産業になった。
 しかし、それでもコスタリカの熱帯雨林は年約2%の割合で減っているという。
 あるがままの自然を利用するといっても、エコツーリズムを始めるにはまず資本がいる。旅行者用の宿泊施設の整備や、交通手段の確保、宣伝などに必要なお金だ。けれども、発展途上国では特にそうだが、自然豊かな地に暮らす人々が裕福であることは稀である。だから彼らが熱帯雨林を私有しても、そしてエコツーリズムがいい稼ぎになることを知っていても、どうしようもない場合が多い。当座の生活のため、森を伐採して木材を売ったり、牧場にしたり、土地をバナナのプランテーションに売ってしまう。

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 1977年、エイモス=ビエンというアメリカ青年が、生物学の学生としてコスタリカを訪れた。熱帯で活動する自然研究者なら誰でもそうなるように、彼も熱帯雨林の多様な生態系にすっかり魅せられた。ただ、他の研究者とは違って、研究よりも保護活動に肩入れするようになる。そして標高700mにある広さ1357ヘクタールの熱帯雨林を手に入れ、ララアビス私立自然保護区を設立した。
 ララアビスではエコツーリズムのほかに、初期資本が少なくてもできる事業―例えば蝶の養殖や、蘭など鑑賞植物の栽培の研究をしている。また、商品価値のある植物や木を、熱帯雨林を維持しながら採取する方法も模索している。「バナナのプランテーションや牧場にするより、熱帯雨林のままのほうが利益を上げられますよ」と示すことが、ララアビスのゴールの一つなのだ。

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 ララアビスのネイチャーガイドと一緒に森を歩いた。
 膝下まである長靴を履き、手には青竹の杖を持つ。ガイドは、ここに来たとき私の荷物を無造作に地面へ落としたジニー。アメリカの大学生である。
 ブーンという機械的な羽音をたてて、障害物だらけの森の中をハチドリが飛びぬけていく。
 樹冠からはつねに、「ばさり…ばさり…」と、お盆ほどの大きさの枯葉が落ちてくる。
 暗い地面や藪で何かが蠢いた。しかし、すぐに森の色の中に溶け込んでしまい、見失った。ブッシュマスターという名の毒ヘビ―噂によると「人を襲いに来る」らしい―や、ジャガーなどの猛獣がこの森には生息している。たぶん、町暮らしの私たちに彼らを見つけるのは難しいだろ。逆に、彼ら森の獣は、容易に私たちを見つけるのだろう。
 ゲストの一人が「毒ヘビに遭うことがあるかしら?」と聞く。
 ジニーは「いいえ」と答え、「あなたが気づく前に、蛇はあなたから逃げるでしょうから」と言う。そして、「怖がることはない」と続けた。
「彼らが何かを襲うのは、ただ腹が減っているからなの。人間だって腹は減るでしょう?」
 それじゃあ全く気休めにならないよ、とみんなは思い、そしてリラックスしたように笑った。

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 蝶の飼育施設に私たちは入り、ジニーの説明を聞いた。
「熱帯の蝶は観賞用として、そして、植物園の温室などで栽培される熱帯植物の受粉役として、需要があります」
 飼育施設といっても、森の一部を網で大きく囲っただけのものだ。さなぎや幼虫は大きめの虫かごに入れられ、風通しのよい東屋に置いてある。
「本来の生息場所で育てるので、こんな素朴な設備で間に合うのです」とジニーは言った。
 ポーテールにしたジニーの髪に、モルフォ蝶がとまった。手を広げたくらいの大きさの羽がゆっくり開閉すると、栗毛色の髪の上で、コバルトブルーの燐光が煌いた。

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 蝶園の片隅には小さなポッドがいくつも並べてあり、芽吹いていた。
「その植物は観葉植物として人気があるの。森に生えているものから種を集めて、育てているわ。一粒の種で二十セントの価値がある。あなたは六日間もここにいるのだから、この種をよく覚えてたくさん集めてね」
 別の日に、その種を求めて私は一人で森に入った。幹や葉の形をしっかりと記憶したはずなのに、いくら歩いてもそのその植物は見つけられなかった。
「それが熱帯雨林なの」とジニーが慰めた。
「いろんな植物がここで生きている。でもたくさん生きているわけではないのよ」

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※文章中の各種統計は1995年当時のものです。

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2007年7月21日 (土)

森の人たち(1995)②

 ララアビス私立自然保護区と開拓地の境界線は、樹林の壁だ。入り口付近は背の低い植物の藪だったが、進んでいくにつれ、みるみる深い森になっていく。
 光が減ってきた。
 空気の質も変わった。喉から気管、肺へと、「ふわり」と入り、優しく沁みこんでいく。

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 そしてトラクターの揺れは限界に近づいた。凸凹の川底のような、車幅いっぱいの深い溝の中を暴れるように進んでいくていく。尻は、座席に乗っているより、空中に放り上げられている時間の方が長い。
 どこかで鈍い音がして、誰かが頭を押さえている。いろんなところを掴むみんなの腕に、くっきりと筋が浮かび上がっている。
 車軸が折れるか、横転するか。みんなは覚悟した。

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 耐えること約1時間。最後に、ゴツゴツとした岩の急斜面を落下して、エンジンの音が止まった。
 一瞬の静寂。
 そして耳が聴力を取り戻すにつれ、鳥の声をはじめ、いろんなものを含む「森の音」が大きくなっていく。目の前には原生林。トラクターで通過してきた再生林と比べて、何か〈けはい〉の濃さが違う。
「ようこそララアビスへ。おなかが減ったしょう。昼食が待っているわ」
 二十代前半の美人がそこにいた。しかも三人。そしてここは熱帯雨林。アマゾネスだ!
「荷物を持ちますわ」
 ゲストたちのバックパック―1つ20kgぐらいありそうだ―を、背中と前に「ひょいひょい」と彼女たちは担いだ。私の荷物を持とうとする女の子に、「自分で持つから」と笑顔で言うと、一度は持ち上げた私のバックパックを彼女は地面に落とした。何の表情も見せず、いきなりドスンと。アマゾネスに半端なフェミニズムは通用しないらしい。濡れて滑りやすくなった木道の上をたどりながら、私は彼女たちのあとを早足で追った。

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2007年6月25日 (月)

森の人たち(1995)①

荷車を引くトラクターは、一度呼吸を整えるかのように川岸で止まった。
 目の前には早瀬がある。一抱えくらいのゴロタ石が、澄んだ水の下に並んでいた。向こう岸までは約50m。
 運転する男はマッチョな白人。大地で働く人間だ。ランニングシャツから突き出た腕は逞しく、にじむ汗でオイルのようにテカっている。彼は肩越しにこちらをチラと見て、川に突入した。
 水深は胸くらいまである。荷台にもドッと水が押し寄せた。荷台の長椅子に座る私たちは、さっと足を上げ、手当たり次第に荷物を高いところに上げる。川の中へと振り落とされないように、尻に力を入れ、バランスをとる。
 さらにもう一本同じような川を渡り、馬向きの悪路をしばらく走った。
 そして、エンジンの音が不意に甲高くなった。
 トラクターは糸が切れたように坂を後戻りし始める。私たちはあきらめの表情を浮かべ、ショックに備え、手すりにつかまる。軽い衝撃。トラクターと荷車は『く』の字になって山道をふさぎ、動かなくなった。耳が馴れ、風の音が聞こえてくる。
 二の腕まで油にまみれならが、この日三度目の修理。そして運転手は、「こいつはもう使えない。替わりのやつを呼ぶ」と言った。
 乗客の一人、アメリカから来たジャーナリストだという男が、携帯電話を耳に当てながら近くの丘に登っていった。しかし、首を振りながら戻ってきた。
 しばらくして、馬に乗った牧童が通りかかり、麓の村まで連絡してくれることになった。私たちは、強い日差しにあぶられながら、一時間以上待たされることを覚悟した。
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 ここは、コスタリカを南北に貫く山脈の東側、カリブ海へと下る山の裾野にある牧場地帯。そして今向かっているのは、熱帯雨林に覆われた「ララアビス」という名の私立自然保護区である。乗客は、カナダやアメリカ、コスタリカ、日本から来た七人。一泊70~90ドルを払い、悪路に数時間耐えるだけの見返りがそこにあるはずだと、誰もが期待している。
 わずかに残った林の影に腰を下ろす。高さ20mほどの木がぽつりぽつりと残る草原が、尾根をいくつも越えて広がっている。切り倒されたままの大木が、骨のように白くなり、そこかしこで牧草に埋もれていた。かつてここは深い森だった。
 しかし森を失った悲しみは、私には湧いてこなかった。青い空、陰影の強い風景、どこまでも続く見晴らしのいい草原。スコーンと爽快な気分になる。馬に乗ってこの草原を駈ければ、きっと楽しいだろう。

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 隣りに、トラクターに便乗していた地元の老人が座った。少しくたびれた服だが、スラックスにカッターシャツという格好。老人は私の手を引き、手伝えとジェスチャーした。道にハンドボール一個分ぐらいの深い穴があいている。2人で石を運び、それを埋める。
「穴を塞いでおかないと、夜、馬で行くと危険だ」と老人が身振りで説明する。「月がないと、ここは本当の闇になる」
 一時間以上かけて、交代のトラクターがやってきた。今度の運転手は十歳くらいの男の子だ。傍らには、彼の父親が上半身裸で座り、前を見つめて黙っている。親子とも貫禄のある体。少年はハンドルとアクセルを巧みに操り、悪路を越えていく。たまに二人は顔を見合わせ、声を出さずに笑った。「コスタリカは子供を大切にする国だね」と何人かの旅人から聞いていたが、確かにそうなのかもしれない。
 草原はひどく太陽に焼かれていた。ゆらめく大気の向こうに、牧童の家が見えた。色あせ、少し歪んだ、トタン屋根の簡素な家。小さくはないけれど、小屋と呼んでも差し支えない家。熱帯雨林と引き換えに人が手に入れた家・・・。不意に、挫かれるような、重い空気が私を覆った。心が痛がっていると思った。
 トラクターは草原―つまり開拓地だ―の端を目指した。それは、うねるような草原のはるか向こうだった。(~つづく~)

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ネイチャーライティング連載開始のごあいさつ

 バブル崩壊前後の頃、「ネイチャーライティング」と呼ばれる分野の本が日本で何冊も出版されました。その多くは海外からの翻訳本でした。あちらでは、古くはソローの「森の生活」から、ジョン・マクフィー「アラスカ原野行」「森からの使者」、ダイアン・アッカーマン「月に歌うクジラ」など、「ネイチャーライティング」という分野がしっかりと根付いているようです。
 しかしその後、日本における「ネイチャーライティング」の分野は先細り、出版点数もすっかり減っています。
 私がそもそもライターになろうと決心したのは、この「ネイチャーライティング」をしたいからでした。しかし発表する媒体はいよいよ少ない。で、このブログに連載することにしました。できるだけ週刊でお贈りしたいのですが、たぶん隔週かも、です。
 今の話から昔のものまで折りませながら、語っていきます。どうぞお付き合いください。

大村嘉正(オオムラ ヨシタダ)

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